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かなり~~~くらいかも。
木曜日はアメリカではThrowback ThursdayといってソーシャルネットワークサイトのFacebookやTwitter、InstagramやTumblrなどで昔あったイベントのことを書いたり写真をポストしたりします。
で、今週の木曜日に、なつかしくも2008年の夏に行ったSt. Thomas島への休暇の写真を張ったら長らくネット上でお付き合いのあるKayさんから、日記で読んだ覚えがない〜と指摘(?)があったので自分のブログ(日記)を見直してみた。
Mixiのほうの日記もまだ移行してないのですっかり忘れていたが、2008年はいまさらながら考えると、すごいUp Downがすごい多いときだった。
話の背景は、
2007年の夏に、元旦那のお父さんが亡くなり、当時住んで居たお家は義父のもので遺産分配の際それなりに現金の遺産もあったのにもかかわらず、義兄たちは、現金の分配は、家を処分してから。とでて、私たちが家を買い取るか、売りに出すかと迫られ、元旦那の過去の麻薬とアル中での現金使用の所為や冬場仕事がスローにあったりで、そこそこのクレジットカードの借金があり、貯金もなかったので、すぐに引越しできる状態ではなく、元旦那は、めんどくさがりで、必死になって状況を考えることもせず、結局家を買い取るということになったのですが、あくまで私たちのためと言い張り、買取額が、当時は不動産ブームがピークを迎えた直後だったので交渉するも、向こうも家はもっと高く手売れるといいはり、私はこのまま家を売りに出して、売れなければ値段が下がる一方だし、すぐに売れればラッキーだしといったものの、元旦那、義兄のプレッシャーに負けて家をすぐに買い取る羽目になったのでした。
買い取るはいいけど、売るのは大変だろうな・・・と思った私。だってお家は、義父自身が業者を使わず中途半端に増築したので、小さなお家にとってつけたような、増築箇所のリビングとダイニングルーム。
実際のベッドルームはすべての部屋が小さくて、部屋数あっても、ベッドルームに何も置けないというのが不便な家でした。
そんな中、家を買い取ったとき、クレジットカードや、車のローンもまとめてローンを組だけど、二人の収入を考えても十分やっていけるような額でした。その後、結構な額の遺産も入ってきて、当時家のローン以外は借金ゼロ、貯金も結構な額があり、絶好調。と思ってたんだけど。それは私が甘かった。
元旦那も未奈が生まれてから、すぐのころに、ヘロイン中毒のリハビリにって、Sober暦が3年以上になったはず・・・(2005年に日本に行ったときは元旦那は絶対Soberだった。)が、義父が病に倒れるやいなや、ジリジリとまたお酒にはまり、麻薬にハマリ。隠れてやるからたち悪い。
今回はリハビリにいく余裕なんかないから(毎回リハビリに行くと義父が助けてくれたけど今回は娘は私立の学校に行ってるし、そんな余裕はない。)Saboxone(
ププレノルフィン)という薬を使用して依存症と闘うといいだした。実際はあまり効果がなかったようだ。この薬を飲むことによって、ヘロインの禁断症状を抑えることができるらしく、ヘロインを服用して、その後この薬を使用してつなぐ。
2005年、彼の友人のLennyが亡くなったあと、再び大親友になったマリア。彼女はSober暦が長く、彼を励ましつづけた。
が、彼女もいつしかその依存症に取り込まれていくのだが・・・。
当時の私は、何事も順調に行っているのを信じたかった。
マリアが私と元旦那の間に立ってくれて、何かあったら、マリアに相談していた。彼女は、看護婦で、大学を優秀な成績で看護科を卒業していて、依存症も本人が経験済みなので、よく相談に乗ってくれていた。
元旦那だって彼女の言うことをよく効いていてくれた。
が、7月のある金曜日。(ハッキリした日付は覚えてない。が金曜日だけって言うのは覚えてる。)
家に帰ってきたら、彼の車が無い。
夜になっても一向にかえってこないので心配になった私はマリアに電話して相談した。
二人で心配になって警察に電話したり病院に連絡して彼が居ないか聞いてみた。
電話の末、彼は近所の病院の逮捕者の棟に収容されているのがわかった。
すると、なんと彼は、村の警察署のすぐ角の十字路の一旦停止のところでエンジンのかかった車が一旦停止した状態の車の中で気を失っていたらしい。交通事故にあわなかったのが不幸中の幸いではあるけれど、まったく信じられないようなことである。
ヘロインを打って気絶していたのだ。
マリアは、すぐに牢獄から出れるようにしなくちゃということで、保釈ボンドを!と言う。
愕然として、友達から薦められるがまま、弁護士を雇った。
何かの手違いで、今まで犯罪歴の無い彼が、小学校のときの同級生がどうやら彼の名前を偽名として使ったらしく、何故か他人の犯罪歴の紙が長々と彼のファイルについてしまい、保釈金を決める判事がなぜか普通保釈金は2千ドル程度が目安なのに、1万ドルに設定。
しかも週末なので保釈金ボンドのオフィスはしまるし、そんな1万ドルなんか、貯金あっても週末に現金化できないから、月曜日まで待たなくてはいけなかった。
弁護士からは、火曜日まで待てば、手違いがあったとして保釈金はおそらくゼロにできるけど?といわれたが、マリアにどうしても一日でも早く牢屋からだしあげないと、彼は監獄のなかでは持たないといわれて、月曜日にベイルボンドの手続きをした。
今考えれば、保釈金ゼロになるなら、戒めとして監獄に入れときゃよかったと思うけど。
貯金があったから、ついついお金を払ってしまったのよね。(一日のための手数料だけでも800ドルぐらいした。)
月曜日の晩ようやく保釈のボンドがついて、釈放されたのだけど、4日間ドラッグしなかった彼の肌には生気がもどり、血色がいい彼をみてみんなどこか、バケーションにでも行っていたのか?エステにでも行ってきたの?といわれるぐらい。
実際彼の目は近年見たこと無いぐらいハッキリした目だった。
みんなもこんなどん底な経験したら、きっと彼もこれから立ち上がって、Soberの道に戻ってくれるに違いないといっていたが・・・。初めてJail(牢獄)を経験してさぞかしつらかっただろうからと周りも言っていた。
裁判所にも弁護士と行き、彼に対しての保釈金は言われたとおりゼロになり。
チャージも下げてもらい・・・一安心。と思っていたら・・・。
2週間後。
彼は、ビール6本の6パックとヴォッカの小瓶を家に持ち帰ってきた。
それを見た私。
かなり、
ぷっちん。
切れました。あれだけマリアと私が苦労して、保釈金とかの手続きなどで翻弄され、車も気絶していた元旦那を救出(?)すべく、窓ガラスは割られ、その上車がレッカー車移動されてそれの引き取りに300ドル以上もかかったり。
その上、運転免許とりあげをくらったので、私が毎日朝早くから送迎したりして、ホント大変になり。(子供が小さいから家に置いてもいけず、眠る未奈を車のバックシートに乗せて朝の6時に20分車を走らせて送ってたんだよ〜。
苦労苦労してんのに、そんなの忘れてあっさりお酒飲むのなんて信じられない〜!
と口げんかになり。
一向に話を聞かない元旦那。
さらに、向こうも開き直って、がんがん怒鳴るもんで、カッとなった私は、思わず平手打ちでパチっとはたいたら・・・。
彼の鼓膜が敗れたみたい。
元旦那は、セルフディフェンスだ!といって、ここぞとばかり、ビンタを10倍返し。
床でもみ合いになり。「お前が先に手出したから、警察に通報して逮捕されるのはお前ののうだ!」といって脅し、さらに暴力はつづく。彼が投げたビール瓶のキャップ顔にあたって少し晴れたんだけど。
その騒動で犬が裏庭から逃げ出して、ゴロちゃんが車に跳ねられて親切にもその場に居た人が、首輪についてた電話番号を元に、電話してくれて、その修羅場は幕をとじたのであったのだけど、
私は犬をマリアと一緒に動物の救急病院に連れて行ったりで、一応骨など異常ないけど、一晩様子をみるということで、終わったけど。友達のマリアは元旦那を連れ出して病院にいって敗れた鼓膜の処置しにいったよう。
晩に友達が来て、一応警察にレポートだけしにいこうということでいって、警察に事情を話したら、物(ビール瓶のキャップ)を投げて人を傷つけようとしたら自動的にFelonyになるんだそうで(あくまでNY州での話)、DVで逮捕しなくてはいけないということになり。
警察は、セルフディフェンスをかたるなら、まず退却して、それでも私が追ってきて私が攻撃をつづけるので殴りかえすならセルフディフェンスになるけど、この場合は、元旦那がセルフディフェンスを語ってさらにやり返したので、元旦那のほうに非があるんだそうで。
私には逮捕させる気はなかったけど、ビール瓶のキャップの所為で自動的に逮捕になってしまった。
結局また弁護士に連絡とって、私には自動的に、元旦那に対して、Order Of Protectionが発動されて、元旦那と一緒に同じ場所には居れないことになり、8月末のカリブ海のSt. Thomasのバケーションを予定してるのに、果たしていけるのか?という状態に。
ドラッグの裁判ケースとともにDVのケース。弁護士代がどんどんかさんで行った。(毎回裁判所に行く度1000ドルかかる。)
なので元旦那は、私の所為だとなじる。
鼓膜破れたのに、俺様は警察沙汰にしなかったのにといわゆる罪悪感をぬれ雑巾のごとくに投げてくるのわけ。
元旦那は、Anger Managementに行くことになったり、ドラッグカウンセリングにもいくことになったりで、一応裁判も初犯なので軽い刑になり、Probationで牢獄送りにはなりませんでした。
結局裁判所に最終的にはOrder Of ProtectionはRefrain Orderということで、元旦那が殴ったり、怒鳴ったり脅したりしてはいけませんという命令に変わったので、8月末のカリブ海のバケーションには一緒に行けるということになった。で、これがThrowback ThursdayでFacebookにはった写真なんですねぇ・・・。
元旦那は、おそらくアル中でぜんぜん自分のしたいことだけしたいから、バケーションに行っても、耳の鼓膜が破れているから絶対水にはつけてはいけないといわれているにもかかわらず、酔っ払ってスノーケルしたりして、回復する際にぜんぜん医者にも行かないし、気もつけないから、直りが悪く、今でも左の耳はあまり聞こえないらしい。(自業自得だ。)もともと、ドラムをやっていたり、音楽を大音量できいてもあまり気にかけない人だったからもともと鼓膜が弱かった所為もあるけど。
でもこの時点から、翌年友人のマリアが、ODでなくなって、離婚を決意するまでは、ホントに大変でした。
ドラッグをするので貯金がものすごい速さで減っていき、薬中の元旦那は仕事しない。私はほとんど家に帰ることなく、未奈を学校から迎えにいったら友達のお家にお邪魔して、そこで休ませてもらい、元旦那が朝早く家を出かけたあと私と未奈は家に帰ってきてシャワーを浴び、未奈は朝7時に学校への送迎バスにのって出かけるという生活を続けました。
そしてついに翌年の夏には、アル中薬中で精神状態が普通で無い元旦那は、離婚すると決意した私を罵倒して、つばを吐きかけること帰宅した時点から深夜まで繰り返し。
向こうは私が警察に通報しないと思ってたようです。罪悪感たっぷり持たせようとしました。
でも、部屋にきて未奈の前で、罵倒してつばを吐きかける行為して部屋を出て行く。これを数十回と続け数時間と続き。さすがに深夜12時にもなったとき・・・。私が張っていた糸が切れるように、私は911のダイアルをして警察に通報しました。私はRefrain Orderを行使したのです。
逮捕される彼は最後の最後まで、「お前のせいだ!」
と責任転嫁でした。
その日から、私たちは2度と一緒の屋根の下で暮らすことはなくなりました。
その後、元旦那は精神病棟なんか行ったり、リハビリ行ったり、ホームレスにはならないものの、いつまでたってもなんかフラフラしてる。
いつまでたっても自分はこれっぽちも悪いことしたなんて思ってません。
今でも仕事せず、仕事がないのは俺のせいじゃないなんて思ってます。
私的には、ティーンのころからマリファナやって、やっぱり長年のアル中薬中の所為で、頭脳機能がどっか壊れてるんじゃないかなと思います。
ま、この経験で学んだことは、
アル中、薬中の人とは付き合わない。
もし将来未奈の好きな人がアル中薬中だったら、絶対別れろ!
と、今から本人に言ってます。
子供アル中・薬中っていうのは仕方ないけど、相手が選べる場合、「かわいそう」とか「絶対変わってくれる」とかそういう感情は絶対利用されるので、そういう人とはかかわらないようにしましょうってことですかね。
今でも元旦那の、我のなさ、不甲斐ない根性なしなところが今でも腹が立ちます。
でも、逆にそんな人から離婚してよかったです。
今は、Jeffととても安定した毎日を過ごしていますし。とても幸せです。
今こうやって振り返ると、その時はそうするしかなかったのだと思いますし。
でも、私のような状況に今居る方、頑張ってください。
そんな人と一緒に居ないほうが絶対幸せになれると思います。
だから勇気をだして頑張ってくださいしかいえないけどね。